「緩やかな下降線」

超個人的意見です。さらりと流して下さい。

冬真っただ中、雪も降りまくり、冷たい雨も風も吹きまくり、何よりもオリンピックに夢中になりまくっていたら時が経っていたわけで…。

気がついたら尻切れるようにSomething活動がグッバイステージを向かえていて、ユノが誕生日を向かえていて、真ん中記念日を向かえていて、チャンミンのドラマ宣伝が表立ってきて、チャンミンの誕生日がもうすぐで、それはそれで止まらずに現在進行形の東方神起

正直僕はあまり韓国の応援に乗っかっていないのでそれほど一喜一憂はしないけれど、音楽番組で1位を取れた事、Mカウントダウンではトリプルクラウン獲得、それなりに望んだ結果が得られたのかなと思われ、得点の内訳ではなかなか音源では振るわずに他得点で盛り返していた事を考えるとビギストが唱え続けた魔法の効果があったのかなと思ったり思わなかったり。良いにしろ悪いにしろ他国からの援護射撃で成り立っていた王冠だと言う事をどうか胸に刻んで欲しいと思った。

今回の活動の中で多くのビギストが韓国式の応援をおぼえて昼夜問わず応援し続けた人も少なくなかったのかもしれない、応援に喜びを感じる人もいたし、疑問を感じる人もいた。何が正しいかなんて自分のものさしで計ればいい、良いと思った事には参加すればいいし、納得できない事には参加しなければいい。

けれどマジョリティはマイノリティを悪と見なしてしまいがち、自分と考えが違う人間を受入れ認める事なく悪とする。

僕は今回の活動の中で郷に入れば郷に従うという言葉があるように、郷に従えないから郷に入らないという考え方があってもいいんじゃないかと思った。それを間違っているとするのではなく、そういう考え方もあると受入れる心がファンとしてというよりは人としてあって欲しいと思った。

気になったのは言葉の難しさ。言葉というものはニュアンスにより取り方が様々にあると言う事を忘れて、何でもかんでも訳しっぱなしで流れて来る言葉たちに踊らされて流される事の怖さ、別に誰が偉いわけではなく、ひとりひとりがファンと言う立ち位置はみんな同じ、なのに何か履違えてしまうように変な影響力を持ってしまう言葉、そして神格化してしまうユノの言葉、チャンミンの言葉。超個人的に恐怖を感じる事がとても多かった。

公式がミッションだのと課して誰も見てない動画を回し続ける事、ネット操作とも取れるクリック合戦、それらは僕の中で疑問に思う事だったし馴染めなかった。しかしそれが応援方法というのも現実であり、不思議な一体感を生む行動でもあり、ある意味で集団心理の相乗効果は興味深かった。

僕は郷に入らずに距離を置いて応援する事を選んだ。

ファンを導く“応援方法”とする言葉たち。それをどう選ぶかでファンとしての在り方が変わってしまう事に戸惑った。CDを買って音楽を愛するだけでは応援していると言われない現実は、幼い頃から音楽が大好きで様々なアーティストのCDを買って音楽に触れて生きてきた僕にとっては淋しい現実でもあった。

それでも音楽に対して本物は必ず生き残ると僕は信じている。

華やかなステージを繰り広げ続けたSomethingもパフォーマンスを重視するあまりにリップシンクや被せの度合いが大きくなって行った事、僕が超個人的にTVXQがTVXQとして貫いて欲しかった部分が薄れていくような気がしてそれも淋しかった。

何を選択をしてどう切り開いて行くのか、どんな音楽を選んでいくのか、どんな思いを貫くのか、どんな姿に変わって行くのか、選ぶ事は失う事に似ている、少しずつズレていく、少しずつ離れて行く、少しずつ少しずつ熱が冷めていく。

どうか音楽の力で引き戻して欲しい。

今回のSomething活動は超個人的には少し不完全燃焼なイメージ、チャンミンのドラマ撮影があったとは言え音楽番組以外のメディア活動が少なかったように思うし、尻切れた印象。日本でも露出が減り、結局どっちにも中途半端な存在になってしまうようで勿体無い。

日本での活動も去年のCatch Meの時とまるっきり同じ、本人不在のスカスカのプロモーション。根のないものに大きな木など育たない、そんな場所からでは声は届かない、大人の事情が見え過ぎる物語なら必要ない。僕はそれほど応援していないけれど、母国活動を全力で応援して大きな力となった日本のファンに対してそんな態度で本当に正解なのだろうか?育てて行きたい物語とは言葉巧みに心を騙す事なのか?

とにかく出しっ放しの楽曲の虚しさったらない…。作品を出すのならきちんとその作品と向き合って欲しい、チャンスを逃せば逃すだけ濁され遠ざかる。現に日本においてのシングル売上は緩やかに下降している。そして何よりCatch Meをテレビで披露しなかった悔しさ、Somethingが日本の音楽番組で披露されない事はアーティストとして勿体無い。

どんな時も真摯な姿を見せてファンへの感謝の気持ちを忘れないとファンは口を揃えるけれど、果たして今とっている行動は本当にそれに値しているのか?テレビに出られないのならばせめてシングルを応援したファンに対して何かしらを形にするぐらいの度量を事務所にも2人にも見せて欲しかった。

本人達が日本のファンに声を届けるのはアルバムイベントまでないとするのならば、それはあまりにも心ない対応だと超個人的には思う。一番残念に思っているのが2人であって欲しいと願ってしまう。

心は心を繋ぎ、心は心を裏切る、東方神起はどちらを選ぶのだろう。どちらを選ばされるのだろう。

そして出るのか出ないのかは未だ発表されないリパッケージアルバム。これからもし発売されるとしたらTREEの本人プロモーション活動は皆無の恐れがある。日本においての東方神起の輪は広がらずに閉ざされた世界が頑固になっていくだけのつまらない未来、裏切る未来。大切なアルバムが発売されるのにファンのワクワクやドキドキを奪う愚かな所業、同じ事を繰り返して心を潰し続けるのはやめて欲しい、デリケートな時期だからこそ丁寧に活動を重ねて欲しいのに残念に思う事ばかり。

去年と同じ虚しさ、キレイなだけの言葉が実を結ばずに白けて行く虚しさ、コツコツと築き上げた城を目先の欲目で削り崩れて行く虚しさ。

僕は日本の音楽番組で彼らのパフォーマンスが見たいし知って欲しいので新曲が発売されるたびに各音楽番組にリクエストを続けている。無駄な事なのかもしれない、けれどリクエストを続けている。

僕にとってはミュージックステーションでWhyを見た事が大きかったから。

歌って欲しい、カッコいいパフォーマンスを見せて欲しい、東方神起を貫いて欲しい、願うのはただそれだけなのに…。去年の今頃も同じような事を思い勝手に憤っていた様な気がする、あれから少しだけ学んだけれどなかなか難しい、やはり今年の春もまだまだ遠い。

緩やかに描く下降線に逆らえずに僕はそれでも春を待つ。

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